無住心剣流・針ヶ谷夕雲の人気ブログ記事
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天正10年(1582年)頃の物価
織田信長が殺された頃の物価を調べてみますと、米1石が京都で1200~1500文、奈良では600~800文です。京都は奈良の倍近く、物価が高かったようです。 1石は10斗で、1斗は10升です。1石というのは一升瓶100本分という事です。銭1000文は1貫文といいます。 大豆1石が京都で1000~13... 続きをみる
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夢想願流 松林蝙也斎
蝙也斎(へんやさい)は15歳の時に上州と信州の国境に聳える浅間山に籠もって、三年間の修行の後、夢想願流という独自の武術を編み出して、武者修行の旅に出ます。 時は慶長15年(1610)、戦国時代が終わりを告げようとしていた頃です。 30歳の頃は関東郡代を務める旗本の伊奈備前守のもとに居候して、剣術を... 続きをみる
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二階堂流平法 松山主水
二階堂流平法は慈恩禅師の弟子の二階堂右馬助が編み出した流派です。 どういう経路で伝わったのかわかりませんが、美濃の郷士、松山氏に伝わります。 松山主水の祖父は軍師竹中半兵衛の従弟で、半兵衛の旗本として戦で活躍します。半兵衛の死後、浪人となった祖父は各地を流浪した後、豊臣秀吉の斡旋で加藤清正に仕えま... 続きをみる
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神夢想林崎流 林崎甚助
林崎甚助は抜刀術(居合)の始祖で、田宮流を開いた田宮平兵衛、伯耆流を開いた片山伯耆守、無楽流を開いた長野無楽斎、関口流を開いた関口柔心、一宮流を開いた高松勘兵衛は皆、甚助の弟子たちです。 甚助は天文年間(1532年~1555年)の半ば頃、出羽の国の林崎村(山形県村山市)に生まれたと伝えられています... 続きをみる
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針ヶ谷夕雲(1593-1662)の関連年表
1590年 7月 11日 北条氏滅亡する。 8月 1日 徳川家康、江戸城に入る。 1592年 1月 5日 豊臣秀吉、朝鮮、明への出兵を諸将を命じる。 1593年 針ヶ谷夕雲、生まれる。 1歳 この年、神子上典膳(後の小野次郎右衛門忠明)、徳川家に仕える。 1594年 ... 続きをみる
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16.夢想願流、松林左馬助
お鶴は二日めの朝になっても目を覚まさなかった。 焚き火がどんどん燃えている暖かい岩屋の中で、たっぷりと敷いた藁の上に、お鶴は寝ていた。落ちた時に打ち所が悪かったのか、体に熱を持っていた。五郎右衛門は座禅をしながら、小まめにお鶴の看病をしていた。 なぜじゃ。 なぜ、お鶴はあんな事をしたんじゃ... 続きをみる
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14.行くな戻るな、たたずむな、立つな座るな、知るも知らぬも
冷たい風の中、五郎右衛門は朝から木剣を振り続けていた。 昼頃、和尚がのっそりと現れた。 「おっ、また棒振り禅を始めたな」と言いながら目を細めた。そして、空を見上げると、「雪が降りそうじゃのう」と言った。 五郎右衛門も木剣を降ろすと空を見上げた。 「この辺りは雪が多いのですか」 「いや、それ程... 続きをみる
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織田上総介信長の台詞
「藤吉郎伝―若き日の藤吉郎伝 20.夢に向かって」より織田上総介信長の台詞 生駒家の娘、吉乃(きつの)に惚れていた藤吉郎(後の豊臣秀吉)でしたが、自分に自信のない藤吉郎はその事を告白できず、織田上総介信長に奪われてしまいます。悔しくて、泣きながら弓矢を放った後、藤吉郎は信長がいる吉乃の屋敷に戻りま... 続きをみる
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愛洲移香斎の娘、桔梗の台詞
「摩利支天の風~若き日の北条幻庵 11.桔梗1」より愛洲移香斎の娘、桔梗の台詞 愛洲移香斎の娘、桔梗は一年間の風摩砦での武術修行が終わった後、師範代を務めた菊寿丸(後の北条幻庵)の部屋に来て、ぐいぐいと酒を飲み始めます。 「おい、ちょっと速すぎるぞ。もっと、ゆっくりと飲め」と菊寿丸は言いますが、「... 続きをみる
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室町幕府八代将軍、足利義政
足利義政といえば、銀閣寺を建てた将軍として有名ですが、将軍としての仕事をする事ができずに、応仁の乱の原因を作ってしまった人と言えます。 義政は、嘉吉の変で赤松氏に殺された六代将軍義教の子で、七代将軍義勝の弟です。次男なので当然、僧侶になる予定でしたが、兄が10歳で亡くなってしまったために、8歳の時... 続きをみる
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草津温泉の俳人、雲嶺庵鷺白
鷺白(ろはく)は本名を黒岩忠右衛門といい、老舗の宿屋の主人です。現在の「ホテル望雲」の先祖にあたります。 芳草舎、老狸窟、雲嶺庵と号して、小林一茶とも交流がありました。一茶は文化5年(1808年)、信州に帰る途中、草津温泉に寄って鷺白を訪ねています。その時は18年振りの再会だったようです。 鷺白は... 続きをみる
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7.焚き火を囲んで 1
焚き火の火が揺れている。 岩屋の中で五郎右衛門とお鶴は酒を飲んでいた。 お鶴が持って来たローソクがあちこちに灯され、岩屋の中は昼間のように明るかった。 「こういう所で飲むお酒も、また格別だわね」 お鶴は新しい藁束(ワラタバ)の上に座って、ニコニコしていた。 「わしはこの酒、飲んだ事あるぞ」... 続きをみる
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1.からっ風が吹き抜けた
上州名物のからっ風が吹いていた。 頬に突き刺さる冷たい風が音を立てて、砂ぼこりを舞い上げた。その砂ぼこりの中、街道に面した空き地に人だかりができている。道行く旅人たちが足を止め、声をひそめて見守っているのは二人の武士だった。 二人の武士は木剣を構えて立ち合っていた。 風に乗って、時折、笛や... 続きをみる
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陰流の太郎(愛洲移香斎)と念流の松阿弥の決闘
「陰の流れ 第二部・赤松政則 22.松阿弥2」より太郎(愛洲移香斎)と松阿弥の決闘 雨の中、決闘は始まった。 山伏姿の太郎は刀を中段に構えて松阿弥を見ていた。 松阿弥は杖に仕込んであった細く真っすぐな剣を胸の前に、刀身の先を左上に向け、斜めに構えていた。 お互いに、少しづつ間合いを狭めて行... 続きをみる
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風摩党の山伏、風雷坊の台詞
「摩利支天の風~若き日の北条幻庵 3.箱根権現」より風雷坊の台詞 箱根権現に入れられた菊寿丸(幻庵)は海実僧正から、お前の父親(早雲)は極悪人の人殺しだと言われます。そんな事は信じられず、真相を確かめるために、父親のいる韮山城へと向かいますが、山の中で道に迷って風摩党の山伏、風雷坊に助けられ、その... 続きをみる
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馬天ヌル(馬天ノロ)
尚巴志(しょうはし)の叔母の馬天(ばてぃん)ヌルは、先代の馬天ヌルが亡くなった時、島添大里(しましぃうふざとぅ)のサスカサヌルから教えを受けるように言われます、しかし、若く自惚れも強かった馬天ヌルは、先代からすべてを教わったので、これ以上、学ぶものなど何もないと思って、教えを受けませんでした。 ... 続きをみる
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天明三年の浅間山大噴火
今から240年余り前の天明3年(1783)、群馬県と長野県の境にそびえる浅間山が大噴火を起こしました。 その年の4月9日(旧暦)から始まって、何度も大きな噴火を繰り返し、7月8日に大爆発しました。北麓の群馬県側にある鎌原村は一瞬のうちに土石流と火砕流に埋もれてしまい、466人の村人が生き埋めになり... 続きをみる
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草津温泉の領主、湯本三郎右衛門
湯本善太夫の跡を継いだ三郎右衛門は善太夫の甥です。 13歳の時、父親は戦死してしまいます。本来なら長男の三郎右衛門が父の跡を継ぐはずでしたが、若過ぎるために、父親の弟が跡を継ぐ事に決まってしまいます。 悔しい思いをした三郎右衛門でしたが、翌年の春、思いもよらない幸運が舞い降りてきます。お屋形様の善... 続きをみる
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