無住心剣流・針ヶ谷夕雲

自分の剣術に疑問を持った針ヶ谷夕雲は山奥の岩屋に籠もって厳しい修行に励み、ついに剣禅一致の境地に達します。

北条氏綱

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小田原北条氏の二代目を継いだ氏綱は通称は父親と同じ、新九郎です。生まれたのは文明18年(1486年)で、この時、父親の伊勢早雲は京都にいて幕府に仕えていました。一旦は幕府を辞めて、駿河の国に住み着いていたのですが、甥の今川氏親の家督を幕府に認めてもらうために、再び、幕府に仕えていたようです。母親は幕府奉公衆の小笠原氏の娘です。

氏綱が生まれた翌年、早雲は幕府を辞めて、駿河に下向し、小鹿範満を討って、氏親を今川家のお屋形に迎えます。

氏綱は京都から駿河に移り、興国寺城に入ります。その翌年に早雲は葛山氏の娘を妻に迎えていますので、氏綱の母親は氏綱を産んでまもなくして亡くなったものと思われます。

氏綱が8歳の時、早雲は伊豆の国に攻め込んで、堀越公方を倒し、韮山城に入ります。10歳の時、早雲は小田原城を攻略して、弟の弥次郎を城主に据えますが、翌年、上杉勢に攻められて、弥次郎は戦死してしまいます。早雲はまだ11歳だった氏綱を小田原城主に任命します。

24歳の頃、早雲が探し出した鎌倉幕府の執権だった北条氏の末裔の娘を妻に迎えます。翌年、長女が生まれ、永正12年(1515年)には長男、氏康が生まれます。

父親の早雲は相模の国を平定した後、武蔵の国へと進出しようと試みますが、夢半ばで亡くなってしまいます。氏綱は父親の遺志を継いで、大永4年(1524年)4月、江戸城を攻め落として武蔵の国へと勢力を広げて行きます。そして、今まで名乗っていた伊勢姓を北条姓に改めるのです。

北条を名乗った氏綱は岩付城を攻略し、河越城も攻略し、葛西城も攻略し、鶴岡八幡宮の再建して、55歳の生涯を閉じます。父、早雲の遺志を立派に継いで、小田原北条氏の基盤を築きました。




摩利支天の風 若き日の北条幻庵
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北条氏綱:勝って甲の緒をしめよ (ミネルヴァ日本評伝選 209)
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北条氏綱 (中世関東武士の研究 第21巻)
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