無住心剣流・針ヶ谷夕雲

自分の剣術に疑問を持った針ヶ谷夕雲は山奥の岩屋に籠もって厳しい修行に励み、ついに剣禅一致の境地に達します。

草津温泉のブログ記事

草津温泉(ムラゴンブログ全体)
  • 善太夫とナツメ、3年振りの再会

    「戦国草津温泉記・湯本善太夫 4.雷鳴」より善太夫とナツメの3年振りの再会  うっとおしい梅雨が過ぎて、夏真っ盛りの頃だった。  箕輪の城下から来た武士の一行を見送って、一息ついていた頃、突然、『小野屋』の孫太郎が妹のナツメと一緒に山程の土産を持ってやって来た。  善太夫は北条方の商人である『小野... 続きをみる

  • 善太夫とナツメ、運命の出逢い

    「戦国草津温泉記・湯本善太夫 2.ナツメ」より善太夫とナツメの出逢い  夏の終わりの頃だった。  瑞光坊(ずいこうぼう、後の善太夫)は光泉寺の門前に立つ市からの帰り、湯治客を眺めながら、のんびりと歩いていた。  草津には様々な客が訪れた。  きらびやかに着飾った身分の高いお公家(くげ)さんや僧侶。... 続きをみる

  • 真田一徳斎幸隆の台詞

    「戦国草津温泉記 湯本善太夫 8.真田一徳斎」より真田一徳斎幸隆の台詞 永禄三年(1560年)の春、真田幸隆が鎌原宮内少輔と共に湯本善太夫を訪ねて草津に来ます。幸隆は武田晴信の被官になって先鋒を務め、信濃の国を平定するために活躍していました。去年、お屋形の晴信が法体になって信玄と号したのにならって... 続きをみる

  • 喜多川月麿の台詞

    「草津温泉膝栗毛・冗談しっこなし 1.通油町」より喜多川月麿の台詞 戯作者の十返舎一九の家に、浮世絵師の喜多川月麿が飛び込んで来て、昔に惚れた深川(辰巳)の芸者、夢吉が上州の草津の湯にいるので、草津に行こうと一九を誘います。 当時、一九は「東海道中膝栗毛」が売れて、有名な作家になっていました。月麿... 続きをみる

  • コンウォール・リー

    群馬県の草津温泉は万病に効くと言われ、古来より湯治客が絶えませんでした。その中にはハンセン病(ライ病)患者も多くいました。 明治20年(1887年)、草津の町内に住み着いていたハンセン病患者たちは湯の沢(現在の大滝の湯の周辺)に集められます。文明が開化して、観光に力を入れようとしていた町にとって、... 続きをみる

  • 120年前の草津温泉

    120年前といえば明治時代になりますが、その頃も湯畑を中心に草津温泉は湯治場として栄えていました。 明治の頃、旅館は一等、二等、三等、四等、五等とランク付けされていたようです。 草津温泉で一等旅館は、望雲館、一井、日新館、大東館、長善館、山本館の6つでした。望雲館は今のホテル望雲、長善館は大坂屋で... 続きをみる

  • 豊臣秀吉と草津温泉

    文禄4年(1595年)正月、豊臣秀吉は草津温泉に湯治に出かける計画を建てました。当時の草津温泉は真田昌幸の領内で、草津の領主は湯本三郎右衛門です。 8年前の天正15年(1587年)4月には、秀吉の妹で、徳川家康の妻となった朝日姫が草津の湯に入っています。翌年の天正16年には、秀吉の養子になった秀次... 続きをみる

  • 平兵衛池

    草津温泉から香草を通って、さらに山奥に入っていくと平兵衛池という静かな沼があります。 昔、草津温泉にあった湯本平兵衛という宿屋の十七歳になる美しい娘が五月の半ば頃、女中たちを引き連れてワラビ狩りに出掛けました。とある綺麗な沼のほとりで一休みした時、お嬢様は喉が渇いたので、水を飲もうと沼に近づきます... 続きをみる

  • 草津温泉の宿、湯本安兵衛

    草津温泉の湯本家は建久4年(1193年)、源頼朝から湯本の姓と三日月の家紋を授かったと伝えられています。 戦国時代には湯本善太夫が武田家の家臣となって草津温泉を守りますが、長篠の合戦で戦死してしまいます。善太夫の跡を継いだ三郎右衛門は真田昌幸に仕えて、草津温泉を守ります。 江戸時代には真田家の重臣... 続きをみる

  • 草津温泉の俳人、雲嶺庵鷺白

    鷺白(ろはく)は本名を黒岩忠右衛門といい、老舗の宿屋の主人です。現在の「ホテル望雲」の先祖にあたります。 芳草舎、老狸窟、雲嶺庵と号して、小林一茶とも交流がありました。一茶は文化5年(1808年)、信州に帰る途中、草津温泉に寄って鷺白を訪ねています。その時は18年振りの再会だったようです。 鷺白は... 続きをみる

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  • 江戸時代の草津温泉

    上州の草津温泉は江戸時代の初期まで真田家の家臣だった湯本家の支配地でした。 湯本家は鎌倉時代より代々草津の領主として、草津の湯を守って来ました。戦国時代の領主だった湯本善太夫は武田信玄に仕えて、長篠の合戦で戦死しています。善太夫の跡を継いだのが湯本三郎右衛門で、真田昌幸の家臣となって活躍します。三... 続きをみる

  • 喜多川月麿

    群馬県の草津温泉で一番古い旅館「日新館」のお食事処の飾り棚に三枚続きの浮世絵が飾ってあります。 江戸時代の日新館の座敷の様子を描いたもので、芸者風の女性が八人、水汲みの女性が一人、若旦那風の男が一人、風呂上りにくつろいでいます。煙草盆と水桶に「湯安」と書いてあり、当時、湯本安兵衛と名乗っていた日新... 続きをみる

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  • 草津温泉の領主、湯本三郎右衛門

    湯本善太夫の跡を継いだ三郎右衛門は善太夫の甥です。 13歳の時、父親は戦死してしまいます。本来なら長男の三郎右衛門が父の跡を継ぐはずでしたが、若過ぎるために、父親の弟が跡を継ぐ事に決まってしまいます。 悔しい思いをした三郎右衛門でしたが、翌年の春、思いもよらない幸運が舞い降りてきます。お屋形様の善... 続きをみる

  • 草津温泉の領主、湯本善太夫

    上野の国(群馬県)の草津温泉は鎌倉時代より湯本氏が代々領主として守っていました。室町時代、上野の国は関東管領の上杉氏の支配下にあったので、湯本氏も管領に従い、草津温泉も安全でした。 京都で応仁の乱が始まった頃、関東でも、鎌倉にいた公方様(足利氏)と公方様を補佐する管領の上杉氏が対立して、関東の武士... 続きをみる

  • 戦国時代の草津温泉

    草津温泉は源頼朝から姓と家紋を授かったという湯本氏が代々領主として温泉を守って来ました。 記録によると明応4年(1495)に太田の金山城主、横瀬成繁が300人の供を連れて湯治に来たとあります。当時、300人を収容できる宿屋があったようです。 文亀2年(1502)には連歌師の宗祇と宗長が越後から来て... 続きをみる