2026年1月のブログ記事
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「義経千本桜」のいがみの権太
いがみは歪みの事で、心が歪んでいる悪者を意味します。今ではあまり聞きませんが、昔はワルガキの事を権太(ごんた)と呼んでいたようです。いがみの権太というのは、心のひねくれたワルガキという意味です。 今でも歌舞伎で上演される「義経千本桜」はもともとは人形浄瑠璃の名作です。1747年の11月に大坂の竹本... 続きをみる
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天明三年の浅間山大噴火
今から240年余り前の天明3年(1783)、群馬県と長野県の境にそびえる浅間山が大噴火を起こしました。 その年の4月9日(旧暦)から始まって、何度も大きな噴火を繰り返し、7月8日に大爆発しました。北麓の群馬県側にある鎌原村は一瞬のうちに土石流と火砕流に埋もれてしまい、466人の村人が生き埋めになり... 続きをみる
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天正10年(1582年)頃の物価
織田信長が殺された頃の物価を調べてみますと、米1石が京都で1200~1500文、奈良では600~800文です。京都は奈良の倍近く、物価が高かったようです。 1石は10斗で、1斗は10升です。1石というのは一升瓶100本分という事です。銭1000文は1貫文といいます。 大豆1石が京都で1000~13... 続きをみる
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織田信長の都、安土城下
天正4年(1576)、織田信長は琵琶湖のほとりの安土に新しい城の建設を始めます。岐阜城を長男の信忠に譲り、仮宿所に移って自ら指揮を執ります。 城の建設に伴って、様々な人たちが安土に集まって来て、城下町も形成され、何もなかった地が、日本中で最も注目される都に変身して行きます。 安土城の天主が完成した... 続きをみる
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秀吉が憧れたカブキ者
豊臣秀吉が若かった頃、カブキ者というのが流行っていました。 人と変わった目立つ格好をして、奇抜な行動を取る事をカブくと言って、カブいている者をカブキ者と呼んでいました。 戦国乱世が生んだ一つの風潮で、明日の事はわからない、今がよければそれでいい。今を精一杯生きている証として、目立つ格好をして、人並... 続きをみる
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織田信長の側室、吉乃
吉乃(きつの)は生駒蔵人家宗の娘です。生駒蔵人は灰と油を商う商人でありながら、武士でもありました。輸送のための人足を多く抱え、各地から集まって来た浪人者なども居候していたようです。 木曽川流域の野武士集団を率いていた蜂須賀小六も出入りしていて、商人たちの警固に当たっていました。豊臣秀吉も木下藤吉郎... 続きをみる
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