無住心剣流・針ヶ谷夕雲

自分の剣術に疑問を持った針ヶ谷夕雲は山奥の岩屋に籠もって厳しい修行に励み、ついに剣禅一致の境地に達します。

沖縄県のブログ記事

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  • 護佐丸

    護佐丸(ごさまる)は尚巴志(しょうはし)のために戦い続けた戦国武将です。 父親は山田按司で、曾祖父は今帰仁按司(なきじんあじ)でした。曾祖父の敵(かたき)を討って、今帰仁グスクを奪い返すために、幼い頃から武芸に励みます。 護佐丸という名は死後に贈られた名前か、生存中にヌルに名付けられた神名かわかり... 続きをみる

  • 馬天ヌル(馬天ノロ)

     尚巴志(しょうはし)の叔母の馬天(ばてぃん)ヌルは、先代の馬天ヌルが亡くなった時、島添大里(しましぃうふざとぅ)のサスカサヌルから教えを受けるように言われます、しかし、若く自惚れも強かった馬天ヌルは、先代からすべてを教わったので、これ以上、学ぶものなど何もないと思って、教えを受けませんでした。 ... 続きをみる

  • 三好日向

     尚巴志(しょうはし)の武術師範を誰にするかを考えた時、まず、浮かんだのは神道流(しんとうりゅう)の流祖の飯篠長威斎(いいざさちょういさい)でした。しかし、長威斎は尚巴志よりも15歳も年下でした。  次に、念流(ねんりゅう)の慈恩(じおん)を調べると、尚巴志よりも二十歳位、年上でした。年齢的には丁... 続きをみる

  • 島添大里按司

    島添大里按司(しましぃうふざとぅあじ)の本拠地、島添大里グスクは馬天港と与那原港を見下ろす山の上にあります。「島添」とは島々を支配するという意味があり、島添大里按司はかなり古くから勢力を持っていた按司のようです。 初代の浦添按司(うらしいあじ)、舜天(しゅんてん)の母親は島添大里按司の娘だったと伝... 続きをみる

  • 勝連按司

    勝連(かちりん)グスクの城主、勝連按司(あじ)は古くから日本との交易をしていたようです。 近くの泡瀬干潟でタカラガイが採れ、それを目当てに遠く日本から商人たちがやって来ました。その取り引きをした者たちが富を守るために築いたのが勝連グスクの始まりでしょう。 やがて、ヤコウガイやホラ貝の取り引きも始め... 続きをみる

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  • 察度

    察度(さとぅ)は浦添(うらしい)グスクの城主で、初めて明国(みんこく)皇帝から冊封(さっぷう)を受けて琉球中山王(ちゅうざんおう)になります。丁度、尚巴志(しょうはし)が生まれた1372年に明国から琉球(沖縄)に使者が来ました。 父親は奥間大親(うくまうふや)で、母親は天女だったそうです。1321... 続きをみる

  • 伊波按司

    尚巴志(しょうはし)の妻は伊波按司(いーふぁあじ)の娘です。 伊波按司は沖縄本島中部の伊波グスクの城主です。以前は北部の今帰仁(なきじん)グスクの城主の息子でしたが、羽地(はにじ)按司に攻められてグスクを奪われてしまいます。何とか逃げのびて伊波の山中に隠れていた所を村人に助けられ、伊波にグスクを築... 続きをみる

  • 佐銘川大主

    佐銘川大主(さめがわうふぬし)は尚巴志(しょうはし)の祖父です。 1330年頃、伊平屋(いへや)島で生まれます。父親は屋蔵(やぐら)大主、母親は我喜屋(がんじゃ)ノロです。 父親の屋蔵大主は隣の伊是名(いぜな)島も支配下に置き、長男の佐銘川大主を伊是名島に配置します。 ある年、飢饉となり、佐銘川大... 続きをみる

  • 思紹

    尚巴志(しょうはし)の父親、苗代大親(なーしるうふや)は中山王(ちゅうざんおう)となって思紹(ししょう)と名乗ります。 1354年に沖縄本島南部の佐敷(南城市)に生まれます。父親は佐銘川(鮫川)大主(うふぬし)、母親は大城按司(うふぐすくあじ)の娘です。 美人として評判だった美里之子(んざとぅぬし... 続きをみる

  • 尚巴志

    尚巴志(しょうはし)は沖縄の戦国時代を制して、沖縄を統一した英雄です。 1372年に沖縄本島南部の佐敷(南城市)で生まれています。その頃、日本は南北朝時代で、室町幕府の将軍は足利義満でした。 尚巴志の父親は苗代大親(なーしるうふや)、母親は美里之子(んざとぅぬしい)の娘です。父親の苗代大親はやがて... 続きをみる

  • 尚巴志との出会い

     琉球王国は日本の国ではありません。ですから、日本史では琉球の歴史は学べません。  私が、尚巴志(しょうはし)という人物を知ったのは15年ほど前の事です。それまで、私はその存在すら知りませんでした。  「沖縄二高女看護隊・チーコの青春」を書くとき、沖縄の昭和史は調べましたが、それ以前の事は何も知り... 続きをみる

  • 沖縄県知事 島田叡

    十・十空襲の後、県庁は焼け残ったにもかかわらず、県知事は普天間に避難したまま戻っては来ませんでした。内務省の勧告があって、11月の初めにようやく那覇に戻りますが、年末に公用のためと言いながら沖縄を離れ、その後、香川県知事になってしまいます。 沖縄は見捨てられた、もう知事も来ないだろうと県民は諦めて... 続きをみる

  • 沖縄陸軍病院第一外科 上原貴美子婦長

    ひめゆりの生徒たちの手記に必ずといっていいほど出て来るのが上原婦長です。優しく、強く、働き者で、その上、美人の上原婦長は生徒たちに慕われ、患者たちに頼りにされ、兵隊たちからも一目置かれた、尊敬すべき女性でした。 上原婦長は1919年、糸満に生まれました。17歳の春、看護婦養成所に入って、一年後に看... 続きをみる

  • 沖縄陸軍病院

    第32軍直属の陸軍病院は熊本の陸軍病院において編成されました。病院長は広池軍医中佐で、那覇の開南中学校に本部が置かれました。 10月10日の空襲で本部のあった開南中学、外科のあった済生会病院、兵舎として使用していた第二中学も皆、破壊されて、南風原の国民学校に移動します。 翌年の2月、師範学校女子部... 続きをみる

  • 牛島満陸軍中将

    牛島中将は沖縄戦の第32軍の司令官です。昭和20年6月23日早朝、長勇参謀長と共に自決して果てます。 鹿児島県出身で、明治39年、陸軍士官学校に入学、大正5年に陸軍大学を卒業します。 大正7年、野戦鉄道司令部参謀としてシベリアに出征し、活躍します。 シベリアから戻ると、陸軍歩兵学校の教官となり、そ... 続きをみる

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  • 沖縄守備軍・第32軍

    昭和19年3月、沖縄守備軍・第32軍が新設されます。それまでの沖縄は小規模な砲兵部隊がいくつか駐屯するだけの無防備状態でした。 その年の7月にサイパン島が玉砕すると、第32軍も強化されて、大陸(中国)から精鋭部隊が集まって来ます。司令官は渡辺中将から牛島中将に替わり、参謀長も北川少将から長少将に替... 続きをみる

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  • 沖縄の鉄道、ケービン

    米軍が上陸した昭和20年の4月まで、沖縄には鉄道が走っていました。 軽便(けいべん)鉄道という小型の蒸気機関車で、那覇を基点に北は嘉手納まで、東は与那原まで、南は糸満まで走っていて、「ケービン」と呼ばれて親しまれていました。 大正3年(1914)、那覇から与那原までが開通し、大正11年に、那覇から... 続きをみる

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