思紹
尚巴志(しょうはし)の父親、苗代大親(なーしるうふや)は中山王(ちゅうざんおう)となって思紹(ししょう)と名乗ります。
1354年に沖縄本島南部の佐敷(南城市)に生まれます。父親は佐銘川(鮫川)大主(うふぬし)、母親は大城按司(うふぐすくあじ)の娘です。
美人として評判だった美里之子(んざとぅぬしぃ)の娘と結ばれ、尚巴志が生まれます。
苗代という地に住んでいたので苗代大親と呼ばれ、やがて、佐敷按司になります。按司というのは領主の事で、思紹の祖父が大城按司だったので、その力を借りて按司になったものと思われます。
いつの事かわかりませんが、母親の実家である大城按司は島添大里(しましぃうふざとぅ)按司と争って滅ぼされてしまいます。その合戦に思紹も参加して活躍したはずですが、合戦の詳しい様子はわかりません。
1392年、39歳の時、何の理由があってか、21歳の尚巴志に家督を譲って隠居してしまいます。大城按司が滅ぼされ、戦国の世を生き抜くには倅の尚巴志の方がふさわしいと考えたのでしょうか。
尚巴志の活躍を助けながらも表に出なかった思紹ですが、1406年、尚巴志が浦添按司(中山王)を倒した後、表に担ぎ出されて中山王となります。53歳でした。
15年間、王位にあった思紹は1921年に68歳で亡くなりました。8年後、尚巴志は沖縄本島を統一します。