無住心剣流・針ヶ谷夕雲

自分の剣術に疑問を持った針ヶ谷夕雲は山奥の岩屋に籠もって厳しい修行に励み、ついに剣禅一致の境地に達します。

馬方の頭、半兵衛の台詞

suwiun

天明三年浅間大焼 鎌原村大変日記 33.七月十六日」より馬方の頭、半兵衛の台詞


天明3年(1783年)7月8日浅間山の大噴火鎌原村は埋まってしまい、助かった人々は大笹宿で避難生活を送ります。

噴火から8日後の16日、村の様子を見に行った問屋の若旦那だった市太たちは、そのありさまを見て呆然とします。


「何だかんだ言ったってしょうがねえ。もう、はなくなっちまったんだ」市太が言うと、

はこの下にちゃんとある」と馬方の頭だった半兵衛は強い口調で言います。

「そんな事アわかってる。だが、もうダメだ。こんなとこに戻っちゃア来られねえ」

「若旦那、わしはな、ここで生まれたわけじゃアねえ。はっきり言やア来たり者(もん)じゃ。だが、わしはこの村に骨を埋めるつもりで、今まで生きて来た。わしに取って、この村は故郷(ふるさと)なんじゃ。ここより他に行くとこなんて、どこにもねえんじゃ」

「そんな事、半兵衛に言われなくたってわかってらア。俺アこの村で生まれて、この村で育ったんだ」

「いいや、わかってねえ。故郷ってえもんが、どんなもんだか、若旦那にゃアわかってねえ。わしは故郷を捨てた。追い出されたんじゃ。無宿者(むしゅくもん)にされて、あちこちさまよった。江戸に出た事もある。だが、何をやってもうまくは行かねえ。結局は旅から旅への流れ者じゃ。六里ケ原で行き倒れになって、馬方に助けられて、このに来た。今まで、人並みに扱ってもらった事なんかなかったんに、大旦那(市太の祖父)は、わしを人並みに扱ってくれた。大旦那のお陰で、わしはこの村で人並みな暮らしができたんじゃ。嚊(かかあ)も貰って子供もできた。亡くなった嚊や子供のためにも、わしはここに戻って来なくちゃならんのじゃ。大旦那に恩返しするためにも、もう一度、ここに鎌原村を作らなけりゃアならんのじゃ」

 市太は焼け石に埋まった村を眺めながら、ここに村を作るなんて不可能だと思っていました。

次の日から、半兵衛は大笹から鎌原まで通って1人で村作りを始めます。やがて、市太たちが加わり、生き残った村人たちも加わって新しい村作りが始まります。




天明三年浅間大焼 鎌原村大変日記
天明三年浅間大焼 鎌原村大変日記

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