日光の円蔵
国定一家で軍師と呼ばれた日光の円蔵は野州(栃木県)都賀郡の落合村に生まれました。幼い頃より寺に入れられますが、17歳の頃、寺を飛び出して、野州無宿の日光の円蔵を名乗って旅に出ます。寺にいた時の名前が、晃円といい、晃を分解して日光、円に蔵をくっつけて日光の円蔵としたようです。
親分子分の関係を持たずに、旅から旅への渡世を送っていましたが、前橋の福田屋栄次郎のもとに客人として世話になっていた時、国定忠治と出会います。円蔵29歳、忠治21歳でした。
円蔵は忠治に何かを感じたのでしょう。百々一家の親分になったばかりの忠治を助ける気になって、百々一家の客人となり、以後、死ぬまで、忠治の片腕として活躍します。
円蔵が生まれた落合村はかなり山奥の村で、入れられた寺というのは山伏の寺だったのかもしれません。そこで厳しい修行を積み、武芸や学問も学んだようです。兵法なども学んでいたのでしょう。それが役に立ったというわけです。
忠治がもし、円蔵に出会わなかったら、伊三郎の暗殺に失敗して、逆に殺されていたかもしれません。国定一家を張る前に、百々一家は潰れていたでしょう。21歳の忠治が立派な親分になれたのも、側に円蔵が控えていたからです。伊三郎を殺して旅に出た忠治の留守をしっかりと守っていたのも円蔵です。円蔵がいなかったら、留守の間に潰されていたに違いありません。
天保13年(1842)11月、円蔵は関東取締出役に捕らえられ、翌年、牢屋の中で亡くなります。忠治の死より8年前の事でした。

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