無住心剣流・針ヶ谷夕雲

自分の剣術に疑問を持った針ヶ谷夕雲は山奥の岩屋に籠もって厳しい修行に励み、ついに剣禅一致の境地に達します。

3.岩屋観音 1

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 武芸者は岩屋の中で、彫り上げた観音像を前に座禅を組んでいた。


 宝冠(ホウカン)を頭に乗せ、合掌しながら微笑んでいる五寸(約十五センチ)ばかりの小さな観音様だった。


 外から忍び込んで来る風で、時折、焚き火の火が揺れ、観音様の表情が変わるように感じられる。慈悲深い優しい表情が、怒りに燃えた表情へと変わった。


 武芸者は突然、右膝を立てて腰を浮かせると、気合と共に刀を抜いた。刀は鋭い音を立てて空を斬った。素早く、刀を納めると、また座禅に入った。


「何をそんなに考えていらっしゃるの」と誰かが言った。



 武芸者は目を開け、辺りを見回した。


 人がいるはずはない。気のせいじゃろうと、また、目を閉じた。


「ねえ、何をそんなに考えていらっしゃるの」とまた、女の声がした。


 武芸者は目を開け、回りを見るが誰もいない。首を傾げ、首の後ろを何度か叩いた。心を落ち着け、深く息を吸い、目を閉じようとした時、「わたくしよ」と木彫りの観音様が言った。


「独りで悩んでいても仕方ありませんよ」


 武芸者は観音様を睨みながら刀の柄(ツカ)に手をやった。


「ちょっと待ってください」と観音様は手を上げた。


 武芸者は刀の柄を握ったまま身を引いた。


 物の怪(ケ)にたぶらかされているのか‥‥‥


 武芸者の心を見抜いたかのように観音様は、「あなた、わたくしを妖怪かキツネか何かだと思っていらっしゃるのね」と言った。


 武芸者は頭を何度も振り、「えいっ!」と気合を入れて、目を閉じた。


 両手で印(イン)を結ぶと怨霊退治の真言(シンゴン)を何度も唱え続けた。


 観音様の声は消えた。焚き火の火が弾ける音と風の音が聞こえるだけだった。


 武芸者はそっと目を開けた。


 観音様は元の通りに合掌していた。


 武芸者は安心して溜め息をついた。


「悪霊(アクリョウ)ではございません」と観音様は両手を動かし、またしゃべった。


「わたくしは観世音菩薩(カンゼオンボサツ)でございます。しかも、あなたが作り出した観音様でございます。あなたがどう思おうと構いませんが、わたくしに悩みを話してみなさい。別に損するわけではないでしょう。それとも斬りますか」


 武芸者はゆっくりと刀を抜きながら腰を上げ、上段に構えると気合と共に振り下ろした。観音像の頭上、わずか紙一重の所で刀は止まった。


 物の怪は退散したはずだった。武芸者は静かに刀を納めた。観音様を手に取ってよく見たが、何の変化も見られなかった。武芸者は安心して、うなづいた。


「気が済みましたか」と観音様は武芸者の手の中で、笑いながら言った。


 武芸者は観音様を放り出すと腰を落とし、また、刀に手をやった。


 放り出された観音様は自力で立ち上がると、ピョンピョンと撥ねながら元の場所に戻って来た。


「そんなに怖い顔をしていないで、素直にわたくしを信じなさい。わたくしはあなたが作った観音様なのでございますよ」


 武芸者は恐る恐る観音様に近づいた。観音様はやさしく微笑んでいた。観音様の笑顔を見ているうちに、武芸者の心の中の猜疑心が徐々に薄れて行った。


「うむ。そうじゃな、信じるか」と刀から手を放すと観音様の前に座り込んだ。


「話してくれますか」と観音様は右手を差し出して言った。


「何を」と武芸者は観音様に顔を近づけて聞いた。


「あなたの悩み」


「わしの悩みか」


 武芸者は腕組みをして、少し考えてから話し始めた。


「実はの、人様の奥方に惚れちまってのう。それがいい女子(オナゴ)なんじゃ。寝ても覚めても、その女子の事が忘れられなくて、まいってるんじゃ。どうしたらいいもんかのう」


「あら、そうだったの。面白いお方ね。あなたが人様の奥方に惚れたのでございますか。そんなの簡単ではありませんか。その自慢の人斬り包丁で、御亭主を料理すれば片が付くでしょ」


 観音様は亭主を斬る真似をしてみせた。


「そうじゃな。やはり、それが一番いいか」と武芸者は納得した。


「あなた、昼間は毎日、棒振り踊りをしてらっしゃって、夜は座禅をしてらっしゃるから、真面目な堅物(カタブツ)だと思っていたら、わりと面白いお方ではありませんか」


 観音様は両手を後ろに組んで武芸者を見上げた。


「それ程でもないぜ」と武芸者は口髭を撫でた。


「どうして、こんな山の中にいるのでございますか」


「世の中に飽きてのう。仙人にでもなろうかと思ってな」


「そんな年でもないでしょ。下界で人様の奥方と遊んでいらした方が面白いでしょうに」


「飽きたわ」


「この色男が、何を言ってらっしゃるの」


 武芸者は右手を伸ばして、そっと観音様をつかんだ。手触りはやはり、ただの木像だった。武芸者は観音様を手のひらの上に乗せ、顔の前に持って行った。


 観音様は笑いなから、「まあ、いいでしょう」と言った。


「あなたが言いたくないって言うのなら言わなくても結構でございます。それより、今夜は一緒にお酒でも飲みましょうよ」


「なに、酒を飲む?」


「お嫌いですか」


「嫌いじゃないが、ここには酒などない。しかも、観音さんよ、そなた、どうやって酒を飲むんじゃ」


「そんなの簡単でございます。この窮屈な木像から出ればいいのでございます。ちょっと待っていてくださいね」


 観音様が両手を上げると突然、焚き火の火が大きく揺れた。揺れながら火はだんだんと小さくなり、パッと消えると真っ暗になった。同時に、手のひらの上の観音様もなくなった。


 武芸者は暗闇の中、刀の柄を握り、じっと耳を澄ませた。


 しばらくして、再び、焚き火の火が付くと、焚き火の向こうに等身大の観音様が現れた。


 観音様は紫色の煙の中で微笑していた。後光を背に黄金色の宝冠をかぶり、宝石をちりばめた首飾りと腕輪を身につけ、キラキラと輝く着物をまとって、白銀(シロガネ)色の瓶子(ヘイジ)を抱えて微笑んでいた。


 やがて、紫色の煙が流れて消えると、「もう一度、わたくしの肝を試すおつもりでございますか」と観音様は言った。


 木像の時と同じ声だったが、玉のように美しい声に聞こえた。

2.関ヶ原から大坂の陣

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 慶長五年(一六〇〇年)九月、関ヶ原の合戦が起こった。豊臣秀吉の死後、二年めに起きた天下分け目の決戦であった。当時、武芸者は八歳の少年だった。


 関ヶ原の合戦の一月前、武芸者は父と母と三人で楽しい夕飯を食べていた。ささやかな暮らし振りでも、少年にとっては暖かい家庭だった。


 その日、一日中、家の外は騒々しかった。馬はいななき、荷物を山積みにした荷車が何台も走り、長い槍をかついだ足軽たちが大勢、鎧(ヨロイ)を鳴らせながら通って行った。夜になっても、その行軍はやまなかった。街道のあちこちに篝火(カガリビ)が焚かれ、松明(タイマツ)を持った軍勢が不気味な音を響かせていた。


 少年の家は武蔵の国、針ケ谷村(埼玉県岡部町)にあった。当時、針ヶ谷村を鎌倉街道が通っていた。江戸から兵糧を積んだ小荷駄(コニダ)隊が関ヶ原に向かう徳川秀忠の部隊と合流するため、鎌倉街道を上野の国、高崎城へと行軍していた。


「まったく、いつまで続くんでしょう」と母が耳をふさぐようにして言った。


「もう少しの辛抱だ」と父は平気な顔をして答えた。


「戦なんて早く終わってくれればいいのに」


 母は不安そうな顔をして締め切ってある窓の方を眺めた。


「どこで戦をしてるの」と少年は母に聞いた。


「遠くの方よ」


「じゃあ、ここは関係ないんだね」


 母は窓の方を見つめたまま答えてくれなかった。少年は父を見た。


 父は笑うと、「ここは大丈夫だ。心配しなくてもいい」と頼もしそうに答えた。


 父は以前、北条(ホウジョウ)氏に仕えていた武士だった。近くにあった鉢形(ハチガタ)城の城主、北条氏邦(ウジクニ)の家臣だった。少年が生まれる三年前に北条氏は豊臣秀吉に滅ぼされ、父は刀を捨てて農民となった。少年は父から戦での活躍を聞いていたが、父がそんな勇ましい侍だったとは信じられなかった。


「北条家は豊臣秀吉に滅ぼされた。その秀吉も亡くなった。これからどうなるのか、今度の大戦でそれが決まる」


 父は灯火を見つめながら、そう言った。でも、少年にはよくわからなかった。ただ、遠くの方で大きな戦が始まり、大勢の侍たちが、そこに向かっているという事がわかっただけだった。


「お父は戦に行かないの」と少年は聞いた。


「徳川も豊臣も、わしから見れば敵じゃ。敵に仕える気などないわ」


「ふうん」と少年が言った時だった。


 誰かが入り口の戸を叩きながら怒鳴った。「おおい、開けろ!」


 母は顔色を失い、父を見つめた。


「侍じゃ。お前らは隠れろ」と父は小声で母に言った。


 母はうなづくと少年の手を引いて土間の隅にある筵(ムシロ)の中に隠れた。少年は母に抱かれながら、筵の中から耳を澄まして外の様子を窺っていた。


「開けろ! こら、開けろ!」


 侍たちは戸を叩きながら騒いでいた。


 父は戸を開けた。


「何をしておる。さっさと開けんか」


 酔っ払った足軽が三人、入って来た。粗末な甲冑(カッチュウ)を身に付けた人相の悪い足軽だった。


「おい、酒はあるか」と馬面の足軽が錆びた槍を向けながら聞いた。


「申し訳ございません。お酒はありません」と父は頭を下げた。


「なに、酒がないだと」と髭だらけの足軽が父を小突き、家の中を見渡した。


「それじゃあ、女を出せ」と太った足軽が怒鳴った。


「女もおりません」


「嘘つくんじゃねえ」


 三人の足軽は土足のまま板の間に上がり、家の中を荒らし回った。


「やめてくだされ」と父が言っても小突かれるばかりだった。


 とうとう少年と母は見つかり、引きずり出されてしまった。


「いい女じゃねえか」と太った足軽はニヤニヤしながら母に抱き着いた。


「おっ母に何するんだ」と少年は足軽に飛び掛かって行ったが、蹴られて転んでしまった。


「やめろ!」と父は棒を手にして掛かって行った。


 太った足軽は父の棒に頭を打たれて倒れた。


 母は倒れている少年のもとに行った。少年は母と一緒に土間の隅に戻った。


 父は棒を構えて二人の足軽に向かっていた。「この野郎!」と足軽たちは父に槍を向けた。


 父は二つの槍を相手に戦っていた。


 少年は母を守りながら、戦っている父を見ていた。以外にも父は強かった。もしかしたら勝てるかもしれないと思った。


 馬面の足軽が父の棒に打たれて槍を落とした。槍を落とした足軽は刀を抜いて、父に掛かって行った。父はもう一人の槍を相手にしながらも、うまく刀をよけた。


 その時、倒れていた太った足軽が起き上がり、刀を抜くと横に払った。


「危ない!」と少年は叫んだ。


 父は斬られ、驚く程の血が噴き出した。さらに槍で喉を突かれて、父は倒れた。


 少年は悲鳴をあげながら父のもとに行った。「畜生!」と言いながら、父が持っていた棒をつかむと足軽に突進した。


 少年は思い切り蹴られて、気を失ってしまった。気が付いた時には、母は着物を剥がされて無残な姿で死んでいた。


 両親の葬式を済ませると、村人たちが止めるのも聞かずに少年は旅に出た。三人の足軽たちを追って高崎の城下へと向かったが、すでに軍勢はいなかった。軍勢の後を追うように中山道を西へと歩いて行った。


 ただ、強くなるんだ。強くなって、あいつらを殺してやるんだと思いながら‥‥‥





 少年は腹をすかして山中に倒れた。


 助けてくれたのは夕霧(ユウギリ)と名のる女だった。


 夕霧は綺麗で優しかったが、時には恐ろしい程、厳しくもあった。まだ、八歳だった少年は母親のように夕霧になついた。しかし、夕霧は盗賊の頭(カシラ)だった。男の格好をして薙刀(ナギナタ)を振り回し、颯爽(サッソウ)と馬にまたがり、荒くれ男どもを顎(アゴ)で使う勇ましい女だった。


 当時の彼には、夕霧がどうして、男たちにお頭と呼ばれているのかわからなかった。今、思えば、忍びの者だったのかもしれない。ともかく、少年は三年余りを盗賊たちと一緒に山中で過ごした。


 彼にとって、それは楽しい日々だった。少年はそこで初めて本格的に剣術を習った。荒くれ男ばかりだったけど、彼らも根っからの盗賊ではない。北条の落ち武者たちだった。


 北条家が滅び、浪人となっても食う事もままならず、自然の成り行きで食い詰め浪人たちが集まるようになった。この集団もその一つで、夕霧を頭に、浪人たちが五十人近くも集まってできていた。少年が剣術を学ぶのに丁度いい環境といえた。理屈抜きの実践剣法をみっちりと仕込まれた。みんなから、かなり荒っぽく、こき使われたが、強くならなければならないと必死に堪えていた。


 そこでの生活で、少年は徳川家康という男の存在を知った。荒くれ男たちは『家康を倒せ!』と口癖のように言っていた。初めのうちは家康という男が何者なのか、まったくわからなかった。彼らと付き合って行くうちに、関ヶ原の合戦を始めた張本人が家康だったという事がわかって来た。


 彼の両親の仇(カタキ)は三人の酔っ払った足軽から徳川家康という男に変わって行った。


 あっと言う間に、三年の月日は流れた。少年は十一歳になっていた。


 その日、お頭の夕霧は何人かを引き連れて、いつものように仕事に出掛けた。そして、それきり帰って来なかった。罠(ワナ)に掛けられて殺されたという。この隠れ家も危ないというので、みんな慌てて逃げて行った。少年は独り取り残された。


「連れてって!」と泣きながら追いかけたが、馬に追いつけるわけはなかった。


 また、独りぼっちになった少年は、当てもなく歩き続けた。





 次に彼を助けてくれたのは、一人暮らしの浪人だった。


 浪人は村はずれに住んでいた。腹をすかせた少年は食べ物のいい匂いに誘われて、その浪人の住む小屋に行った。小屋の中を覗くと、浪人が木を削って何かを彫っていた。少年は興味を引かれ、腹の減っているのも忘れて熱心に浪人の仕事を見ていた。ただの木の塊(カタマリ)が浪人の手によって猫の形になって行った。招き猫だった。


「坊主、面白いか」と浪人は声を掛けて来た。「面白い」と少年は答えた。


 それが縁だった。少年は浪人から彫り物を教わる事となった。彫り物だけでなく、読み書きも習い、そして、新陰流(シンカゲリュウ)という剣術も仕込まれた。


 浪人の名は大森勘十郎といった。過去の事はあまりしゃべらなかった。でも、そんな事は少年にとってどうでもいい事だった。なぜか、彫り物を彫るという事が楽しかった。剣術よりも、むしろ木を彫っていた方が好きだった。それでも剣術の稽古は毎日やった。剣術を教えている時の勘十郎は、まるで別人になったかのように厳しかった。


 勘十郎に打たれて気絶する事も何度もあったが、そんな事で親の仇が討てるかと言われると、なにくそっと、決して、へこたれなかった。剣術の腕は見る見る上達して行った。体格も大きくなり、十七歳になる頃には六尺(約百八十センチ)近くの大男になり、勘十郎と互角に戦える程の腕にまで成長していた。


「もう、わしに教える事は何もない。お前には剣の素質がある。伸ばそうと思えばいくらでも伸びる。わしの兄弟子で小笠原源信斎(ゲンシンサイ)という人が今、江戸で道場を開いている。お前は源信斎殿の所に行って、剣を学べ」


 武芸者は勘十郎の言う通り江戸に向かった。


 江戸はまだ新しい都で活気に溢れ、見る物すべてが田舎出の武芸者には珍しかった。彼は源信斎のもとで剣術の修行に励み、江戸という新しい都で色々な事を学んだ。





 慶長十九年(一六一四年)、武芸者が江戸に来てから五年が過ぎた。また、大戦(オオイクサ)が始まろうとしていた。


 東西の決戦、大坂の陣である。


 武芸者は急いで大森勘十郎のもとに向かった。勘十郎からは何も言って来ない。しかし、彼にはわかっていた。勘十郎は浪人をしながら、この日が来るのをずっと待っていたのだ。西軍に与して一旗あげる事を‥‥‥


 武芸者も勘十郎に付いて行く覚悟を決めていた。勘十郎は五年前と変わらない小屋の中で、甲冑の手入れをしていた。


 武芸者の顔を見ると、「どうして、戻って来た」とそっけない声で聞いた。


「父と母の仇討ちです」と武芸者は刀の柄(ツカ)をたたいた。


 勘十郎はしばらく、一回りも大きくなった武芸者を見上げていたが、大きくうなづいた。


「いいじゃろう。戦で本物の肝(キモ)を鍛えろ」


 武芸者は甲冑に身を固め、大森勘十郎と共に馬に乗って大坂へと向かった。


 そして、武芸者は見た。十四年前の関ヶ原の合戦の時、足軽どもが村人を襲い、略奪の限りを尽くしていたのと、まったく同じ光景を‥‥‥


 大坂に向かう食い詰め浪人たちは『お前らのために戦に行くんだ』というのを大義名分にして、村人たちに対して好き勝手な事をしていた。


 武芸者は腹を立て、やめさせようとしたが、どうにも止める事はできなかった。いくら、彼の剣が強くても、何十人もの浪人たちを止める事は到底できなかった。


 武芸者は大森勘十郎と共に真田幸村(ユキムラ)のもとで徳川軍と戦う事になった。武芸者はこの戦で初めて人を殺した。人を殺すという事は余りにもあっけなかった。そして、戦という大きな力の中では、人を殺すという事に対して何の抵抗も感じなかった。


 武芸者は面白いように人を殺して行った。


 大森勘十郎は戦死した。


「戦がどんなものかわかったか。お前は、こんなくだらん戦なんかに巻き込まれてはいかん。犬死になど絶対にしてはいかん。本物の剣の道に生きるんじゃ」


 それが勘十郎の最期の言葉だった。


 大坂冬の陣は講和という形で終わった。


 武芸者は江戸に帰った。


 翌年の夏、再び、大坂の陣があったが、彼は戦には参加しなかった。そして、翌年、徳川家康は死んだ。


 武芸者は師の小笠原源信斎より新陰流の印可(インカ)をもらい、諸国修行の旅に出た。武芸者はただひたすら剣術の修行をしていた。諸国を巡り、他流試合を何度もしては勝ち続けた。


 武芸者が山奥の岩屋に籠もったのは元和(ゲンナ)九年(一六二三年)の正月の事だった。


 大坂の陣が終わり、世の中は徳川幕府の天下となっていた。しかし、まだ、戦国時代の気風を残し、武者修行と称して旅を続けている武芸者が各地にいた。彼らは武芸に命を賭け、実践を重視するため、時には真剣勝負に及ぶ事も度々あった。


 ちなみに、この時期の有名な武芸者を挙げると、一刀(イットウ)流の小野次郎右衛門忠明は六十四歳。忠明は幕府に仕え、将軍徳川秀忠の剣術指南役として六百石を貰っていた。


 示現(ジゲン)流の東郷藤兵衛重位(シゲタカ)は六十三歳。重位は薩摩藩に仕え、島津家久の剣術指南役として四百石を貰っていた。


 富田(トダ)流の富田越後守重政は六十歳。名人越後と呼ばれた重政は加賀の前田家に仕え、一万三千石余りを領する武将であった。


 柳生新陰流の柳生但馬守宗矩(タジマノカミムネノリ)は五十三歳。宗矩は幕府に仕え、小野忠明と共に徳川家の剣術指南役として三千石を貰っていた。


 宗矩の長男、十兵衛三厳(ミツヨシ)は十八歳で、徳川家光の小姓(コショウ)をしている。同じく柳生新陰流の柳生兵庫助利厳(ヒョウゴノスケトシヨシ)は四十六歳。利厳は尾張の徳川家に仕え、剣術指南役をしていた。


 片山流の片山伯耆守(ホウキノカミ)久安は四十九歳。久安は豊臣秀頼の剣術指南役だったが、豊臣家が滅んで後、周防(スオウ、山口県)の吉川(キッカワ)家に仕えていた。


 二天一流の宮本武蔵は四十歳。武蔵が厳(ガン)流の佐々木小次郎を倒したのが十一年前の事で、この時も武蔵は修行の旅を続けていた。


 本編の主人公はこの時、三十一歳。三十一歳にして、自分の剣に疑問を持ち、岩屋に籠もったのであった。

1.からっ風が吹き抜けた

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 上州名物のからっ風が吹いていた。


 頬に突き刺さる冷たい風が音を立てて、砂ぼこりを舞い上げた。その砂ぼこりの中、街道に面した空き地に人だかりができている。道行く旅人たちが足を止め、声をひそめて見守っているのは二人の武士だった。


 二人の武士は木剣を構えて立ち合っていた。


 風に乗って、時折、笛や太鼓の囃子(ハヤシ)が聞こえて来る。近くの神社で、新年を祝う神楽(カグラ)を奉納しているらしい。


 右側の武芸者は髭面の大男。長旅を続けているとみえて、着ている着物は色あせ、所々が破れている。年の頃は三十前後か、無精髭がなければ、なかなかの男前だった。


 対する左側の武芸者は背は低いが、がっしりとした体つきの四十男。戦で怪我をしたのか、額から右眉にかけて目立つ傷痕が残っている。その傷痕は戦のあった時代は向こう傷として持て囃されたかもしれないが、戦のなくなってしまった今では、人々を脅えさせる役にしか立たない醜い傷痕だった。着ている着物は粗末でも汚れてはいない。近所に住んでいる浪人者のようだった。


 旅の武芸者は下段に構え、浪人者は上段に振りかぶり、お互いに睨み合っていた。


 見物人の一人、行商人らしき男が隣にいる百姓に成り行きを聞いた。


「喧嘩じゃねえ。試合じゃで」と百姓は頬かぶりに懐手(フトコロデ)をして、二人を見ていた。


「試合? 何の試合じゃ」と行商人も袖の中に腕をしまうと聞いた。


「なんでも、あの旅のお侍さんは江戸でも有名な武芸者じゃそうな。そいで、あの浪人者が試合を申し込んだっちゅうわけじゃ」


「ほう。あの大男が有名な武芸者かい。名は何と言うんじゃ」


「ハリガヤ何とかって言ってたのう。新陰流を使うとか言ってたがのう」


「新陰流か‥‥‥で、あの恐ろしい顔した浪人の方はどこのもんじゃ」


「高崎のお城下にいる浪人者じゃ。ほれ、あそこに偉そうなお侍がいるだんべえ。あのお侍は安藤家のお侍じゃ。あの浪人者が勝ったら、仕官の推挙をするとか言っとったで」


 編笠をかぶって顔を隠した侍が、手に持った鞭(ムチ)を小刻みに振りながら見物していた。


「ほう‥‥‥そいつは大層な見物(ミモノ)じゃのう」


 二人の武芸者は睨みあったまま動かなかった。張り詰めた空気が辺り一面をおおっている。見物人たちは固唾(カタズ)を呑んで見守っていた。緊張したこの場にふさわしくない神楽囃子の調子が速くなった。


 行商人が囃子の聞こえて来る森の方を眺めた時だった。突然、静寂を破る鋭い掛け声が響いた。


 二人の武芸者は互いに気合を発しながら近づいて行った。


 二つの木剣が風を斬る鋭い音が鳴った。


 二つの影が重なった‥‥‥かと思うと、また、離れ、二つの影は元の場所へと戻って行った。


 一瞬の出来事だった。二人の武芸者は何事もなかったかのように、同じ構えのまま睨み合った。


「どうなったんじゃい」と行商人が百姓に聞いた。


「わかんねえ‥‥‥相打ちってやつだんべえ」


「じゃろうのう‥‥‥」


 二人の武芸者の間を枯れ葉が舞い踊っていた。


「いかがでしたか」と旅の武芸者が木剣を引くと落ち着いた声で尋ねた。


「相打ちですな」と浪人も木剣を下ろした。


 行商人と百姓は顔を見交わせ、うなづいた。ところが、旅の武芸者は首を横に振った。


「なに、おぬしの勝ちと言われるか」


 浪人は一歩踏み出し顔を赤らめた。


「はい。拙者(セッシャ)の勝ちです」と旅の武芸者は静かに言った。


「納得できん。いま一度、お願い申す」


 浪人者は木剣を音をたてて振り回すと八相(ハッソウ)に構え、武芸者を睨んだ。


「何度やっても同じ事です」


 武芸者は背負っていた荷物の側に行き、木剣をしまおうとしていた。


「しからば、真剣にて、お願い申そう」


 浪人者は編笠の侍の方に、チラッと目をやると木剣を投げ捨てた。


「無益な殺生(セッショウ)です」


 武芸者は木剣を袋にしまった。


「逃げるか。卑怯なり」と叫ぶと浪人者は刀を抜いた。


 旅の武芸者は袋にしまった木剣を静かに脇に置き、浪人者に対し刀を抜いた。


「えらいこっちゃ」と百姓は言った。「斬り合いになっちまっただ」


「どっちが勝つと思う」と行商人は聞いた。


「そりゃあ、江戸のお侍だんべ。貫録が違うでえ」


「うむ。わしもそう思うわ」


 二人の武芸者は真剣を構えた。旅の武芸者は清眼(セイガン、中段)に構え、浪人者は清眼から上段へと移した。


 二つの刀が異様に光っていた。


 旅の武芸者が右足を後ろに引き、清眼から下段に移した瞬間、浪人者は気合と共に斬り掛かって行った。


 勝負は一瞬にして決まった。


 浪人者が上段より斬り下ろす刀より速く、旅の武芸者の下段から斜め上に斬り上げる刀は浪人者の横腹を斬り裂いていた。


 血を吹き出しながら浪人者は武芸者の脇にゆっくりと倒れ込んだ。


 生臭い血の臭いが漂った。


「やっちまっただ」と百姓は大口を開けていた。


「すげえもんじゃ」と行商人は目を見開き、倒れている浪人者を見ていた。


「正月そうそうから可哀想にのう‥‥‥」


 浪人者の体はしばらく痙攣(ケイレン)していた。


 武芸者は刀を構えたまま、静かな顔付きで浪人者を見下ろしていた。武芸者の刀からポタリポタリと血が垂れている。


 刀をつかんでいた右手が力なく落ちると浪人者は事切れた。


 見物人たちは皆、呆然としたまま動かず、浪人者の最期を見つめていた。その中で、安藤家の侍だけが、浪人者がやられたのを見ると隠れるようにして引き上げて行った。


 勝った武芸者は倒れている浪人者を見つめながら血振りをして、懐紙(カイシ)で刀の血を丁寧に拭うと鞘(サヤ)に納めた。息絶えた武芸者に片手拝みをすると荷物を背負い、その場を去って行った。


「やっぱり、江戸のお侍は強えわ」と言いながら、行商人は急ぎ足で街道に戻った。


 どこからか女と子供が出て来て、死体にしがみついて泣き叫んだ。浪人者の妻子らしかった。勝った武芸者が振り返って妻と子を見た。


 妻は死んだ夫の首を抱き、うなだれていた。細いうなじが哀れだった。子供は八歳位の男の子で、父にしがみついて泣きながらも、じっと武芸者を睨みつけていた。


 武芸者は子供の視線を振り切るように、その場から立ち去った。


 見物人たちも、「すげえのう」と言い合いながら、泣いている妻子を見て見ぬ振りをして散って行った。


 何事もなかったかのように人気のなくなった空き地にからっ風が吹き抜けた。





 数日後、武芸者の姿は山奥の雪におおわれた岩屋の中にあった。山奥に籠もり、剣術の修行に励みながら、夜になるとコツコツと観音像を彫っていた。


 振り切っても、振り切っても、あの時の子供の目付きを忘れる事ができなかった。


「あれは、わしじゃ」と武芸者はつぶやいた。