無住心剣流・針ヶ谷夕雲

自分の剣術に疑問を持った針ヶ谷夕雲は山奥の岩屋に籠もって厳しい修行に励み、ついに剣禅一致の境地に達します。

慈恩禅師

suwiun

武術の三大源流と呼ばれるものに陰流神道流念流があります。

陰流の流祖は愛洲移香斎(あいすいこうさい)、神道流の流祖は飯篠長威斎(いいざさちょういさい)、そして、念流の流祖は慈恩(じおん)です。

慈恩は室町時代の初期、正平6年(1351年)に生まれたと伝えられています。移香斎が享徳元年(1452年)生まれ、長威斎が元中4年(1387年)生まれと伝えられていますので、念流が一番古いと言えます。

慈恩の本名は相馬四郎義元といい、7歳の時に相模の国の遊行寺に入って念阿弥と名乗ります。遊行聖として各地を旅して、京都の鞍馬山に登った時、異人から武術を習います。鎌倉に戻って、寿福寺の禅僧から秘伝を授かり、筑紫の国の安楽寺で奥義を会得したようです。

その後、還俗して、父親の仇を討ち、鎌倉に戻り、寿福寺で出家して禅僧となり、慈恩を名乗ります。58歳の時、信濃の国の浪合村の長福寺を開山して、念和尚と呼ばれたと伝えられています。

慈恩自らが念流と称したわけではなく、念和尚が開いた武術なので、弟子たちが念流と言ったようです。

慈恩の弟子は数多くいますが、中でも、樋口太郎兼重、堤山城守宝山、中条(ちゅうじょう)兵庫助長秀、二階堂右馬助、赤松三首座禅師慈三の5人が有名です。

樋口太郎からは馬庭念流が生まれて、その流れは現在まで続いています。堤山城守からは宝山流が、中条兵庫助からは中条流が、二階堂右馬助からは二階堂流が生まれ、赤松禅師は念流の正統を継いだようです。

中条流からは、富田(とだ)流が生まれ、さらに、一刀流が生まれ、幕末には無刀流も生まれます。



※尚巴志伝第二部の50.天空の邂逅 から中条兵庫助が登場します。

※尚巴志伝第二部の81.玉依姫 から慈恩禅師二階堂右馬助が登場します。

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