無住心剣流・針ヶ谷夕雲

自分の剣術に疑問を持った針ヶ谷夕雲は山奥の岩屋に籠もって厳しい修行に励み、ついに剣禅一致の境地に達します。

国定忠次と有名な侠客たち

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大親分と呼ばれた大前田栄五郎は寛政5年(1793年)生まれですから、忠次より17歳年長です。

天保水滸伝」で有名な笹川の繁蔵は文化7年(1810年)生まれで、忠次と同い年です。八丈島送りになった津向の文吉も忠次と同い年です。

清水の次郎長は文政3年(1820年)生まれですので、忠次より10歳も若く、忠次との接点はなかったようです。

黒駒の勝蔵は天保3年(1832年)生まれで、忠次より22歳年下、吉良の仁吉は天保10年(1839年)生まれで、忠次より29歳年下です。

竹居の吃安(どもやす)は文化8年(1811年)生まれで、忠次より1歳年下です。記録には残っていませんが、忠次と接点があったかもしれません。忠次が磔刑になった嘉永3年(1850年)、吃安は捕まって新島に島送りになりますが、8年後、島抜けに成功して、甲州に戻って来ます。

上州館林の江戸屋虎五郎は文化11年(1814年)生まれで、忠次より4歳年下、忠次が世話になった藤久保の重五郎の子分なので、忠次とは面識があっただろうと思います。

会津の小鉄は弘化2年(1845年)生まれで、忠次が処刑になった時、まだ5歳でした。




侠客国定忠次一代記
侠客国定忠次一代記
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